今月のスポットライトチームメンバー

大中淳史さん(東京都) チームディレクター

端整なマスク、スラリとしたスタイル、流麗な身のこなし。王子様のようなこの青年、実は騎馬戦歴戦の勇者です!「え!?騎馬戦?それがシナジーとどんな関係が?」あるんです、それが。彼の人格形成のプロセスの一部に騎馬戦のエネルギーが根強く宿っており、そのエネルギーがチームディレクター到達の瞬発力へと昇華していきました。今回ご紹介するこちらの王子様(兼勇者)は、異色の経歴の持ち主、大中淳史さん。学生時代から今に至るまでの様々な人生の岐路、曲がりくねった道を歩みながらもぶれなかった思い、シナジーに辿りついた経緯や未来への目標など、大中さんの人となりをうかがい知ることのできる、楽しく興味深いお話を伺いました。

大中淳史さん  チームディレクター

■ 聞いた話によりますと、シナジーサロンの近くに住もうと思って九段に引っ越したのに、1年もしないでサロンが五反田に移転してしまい途方にくれたと・・・。大変申し訳ありません。
そうなんですよ、サロンが近くになくなっちゃって困ってます(笑)。でも、またすぐこの近くに引っ越しますよ。九段の住まいはもう解約手続きしましたよ。

■ シナジー一本に絞ってエネルギッシュに活動を続けていらっしゃる大中さんですが、ついこの前までサラリーマンとの二足の草鞋だったんですよね?卒業以来お勤めされていた会社を辞めてシナジーに的を絞ったということですか?
いや、卒業以来一つの仕事をずっと続けてきたわけではないです。大学卒業からこれまでに会社は4社経験してますし、留年していた時期もあったりフリーターの時期もあったりと、シナジー以前はいろいろ彷徨ってました。『これだったら大切な人を守れるな』とか『これだったら誰かに何か価値あるものを届けられるな』っていうものを、自分としては学生時代からずっと探してたんですけど、そういうものに巡り会えなかったのでなかなか人生の方向性が定まらなかったんですよね。

■ 学生時代からの人生観とは、具体的にどういったものでしたか?
高校、中学まで遡りますが、たまたまですけど僕はリーダーシップを取るような役に就くことが多かったんですよ。クラスなら学級委員、部活ならキャプテン、応援団でいえば団長だし、文化祭があればその指揮を執る立場とか。別に立候補しまくるわけじゃないんですけど、なんとなくそういう立場になることが多くて、そんな経験を通して「誰がリーダーになるかによって組織のパフォーマンスって変わるんだな」ってことを多少は理解してたんです。そんなところから、やっぱり人の強みを引き出すとか本当の能力を引き出すっていうのが、たぶんすごく好きだったんだと思います。 大学時代にですね、僕は500人規模の男子学生寮に入ってたんですよ。和敬塾っていう、作家の村上春樹さんも学生時代に住んでたっていう寮なんですけど、和敬塾は東西南北って4寮あるんですが、そのうちの、僕は東寮のリーダーでした。その寮では体育祭が1か月くらいあったり文化祭があったりいろいろなセミナーがあったりと、一つの学校みたいな感じなんですけど、とにかく年がら年中どの寮が一番強いかとかイケてるかみたいなものを競い合ってました。
(そこは寮なんですよね?いわゆる親元を離れてその大学に通う学生が住むところですよね?-byスタッフ)そうです、完全に住むところです。でも大学はバラバラです。都内にある大学ならどこの学生でも入れる寮なんです。(なるほど、学生のコミュニティなんですね。どこが一番イケてるかの判定基準は何だったんですか?-byスタッフ)騎馬戦です!(エッ?騎馬戦・・・ですか?-byスタッフ)そうです、騎馬戦ですっ!(笑) 騎馬戦で強さを競います、というか、結束力ですよね。僕がリーダーの時は準優勝だったんですよ。南寮に負けちゃって・・・。南寮は僕から見ても委員長はリーダーシップも強かったし寮としてがっちり固まってたって思いましたね。塾生には早稲田とか東大生が多くて勉強しかしてこなかったような後輩もいたんですけど、彼らがすごく男らしく逞しく成長していく姿を見て、やっぱり人って誰とどんな時間を過ごすかによってこうも変わるんだなって、人の成長とか変化にものすごく興味を持ってましたね。同時に、僕と関わることで誰かの人生が変わる、そのきっかけとなるような人間になりたいなって思うようになりました。自分も浪人とか留年とかしましたし、自分で自分が悔しかったり無力感やちょっとした絶望感みたいなのを味わったりしたので「この人、変わりたがってるのに、もっと輝きたいのにあんま輝けてないな」みたいな人はなんとなくわかるんです。だから、その人が求めているものを差し出してあげられる人になりたいって、学生時代から今までずっとそう思ってます。

■ 俳優さんを志望なさってた時もあったと。
最初は関西の大学に行くつもりだったんですけど、学生時代に見たあるドラマに衝撃を受けて役者を志したことから東京の大学に進路変更しました。人の人生に衝撃を与えたり影響を与えたりする、その最高の方法が役者をやることだって、その時は思ってたんですよね。(寮のリーダーであることも、役者であることも、人にきっかけを与えることも根底は同じだったんですね。-byスタッフ)おんなじです。全部一緒です。未だに「大河ドラマ出たいな」なんて思うこともあるし、学生時代からつい最近まで何本か自主映画を作ってそれに出演したりもしてましたし、実際モデルとかもちょこちょこやってます。その人の人生がより良くなるきっかけ、そのきっかけとなる価値ある何かを与えたいという気持ち。そういう気持ちを表現するフィールドとして活かせるんじゃないかと、役者という方向性を模索してました。でもある日、なんかちょっと違うって思っちゃったんです。もちろんいい面も沢山あるんですけど、例えば俳優さんがCMに出ることになった場合、たとえその製品があんまり良くないものだったとしても、それを売るための広告塔にならないといけない。それは自分はできないなって思いましたし、もっといい方法があるんじゃないかって思うようになったんです。

■ そんな中、ご自分の方向性を模索していた大中さんがシナジーを本業にしようと思った、それこそそのきっかけは何だったんですか?
とあるご一家との出会いがきっかけです。その頃は僕もサラリーマンだったんで、シナジービジネスは副業的にやってた感じでした。ところが、ある時友達の奥さんのお父さんが20年もの間ずっと体調不良で薬もずっと飲んでいるし会社も休みがちで、今後また会社に行かれない状況が続いたらやめざるを得ないかもしれないところまで来ていると聞いたんですね。そこで、なんとか力になれたらと思い、早速そのおうちにお伺いしてシナジー製品について、飲み方について丁寧にご説明しました。藤原さんというご一家なんですが、週に2~3回は藤原さんのおうちに伺ってフォローしてましたね。泊まったりもして。そうして徐々に信頼していただけるようになって、ご家族全員でシナジー製品を摂り始めたんです。
藤原さんご一家と
その後お父さんもお元気になられたので、お母さんがビジネスとして取り組んでみようかなという流れになったのですが、家族が元気になった感動が自然と周囲に伝わったのか、お母さんの周囲の方々からすごい広がりが生まれて、結果的に50~60件くらいのご紹介をいただきました。藤原さんご一家のお父さん一人の健康が、家族みんなの幸せに関わってるんだっていうのを目の当たりにして、人の幸せって健康とすごく深く結びついてるんだなっていうのをあらためて感じたできごとでしたね。藤原さんご一家がほんとに輝く瞬間を見た時に「ああ、僕がやりたかったことってこういうことだったんだな」ってすごく思いました。だからこの仕事を本気でやっていこうと思って、会社を辞めてシナジー一本に絞りました。僕に踏み出す勇気をくれた藤原さんご一家と、そのきっかけを作ってくれた友人(藤原家のお嬢さんの旦那さんです)に、今、すごく感謝しています。

■ 大中さんからご覧になって、シナジービジネスってこんな人に合うんじゃないかな、っていうご感想はありますか?例えばこれまでこんなことをやってきた人がいいんじゃないか、とか、人前で話すのが得意な人が合うんじゃないか、とか。
そういう区分けは全然関係ないですね。藤原さんご一家だってもともとビジネスを一緒にやろうと思ったわけではないのでね。それでも今、自然と伸びていってますから、自分がこの人やったらいいのになって思う人と伸びる人って全然違うと思うので、区別はしないほうがいいですね。
別にビジネスやるとかやらないとか、結局どっちでもいいなって思ってます。この人は何を求めてるんだろうって考えて、その手段がシナジーであればシナジーの話をしますし、別のことであれば別のものを紹介したり。ほんと、お助けマンみたいな感じですね。ただ、今までスポンサリングしてきた人達に対しては、その人が大切に思っているもの、例えばその人の家族であったり価値観であったり、そういったものを僕も大切にするっていうことは心がけています。信頼関係ってそういうところから生まれてくるんじゃないかと思います。藤原さんのお宅におじゃましても、僕ほんとやりたい放題なんですけど、でもだからこそ、ほんとの家族として迎え入れてもらえてるなって感じがします。これからも、そういう人を増やしていきたいですね。

■ 最後に、大中さんの短期的目標と中長期目標を教えてください。さらに、もっともっと大きな夢は?って聞かれたらなんて答えるかも教えていただけますか?
う~ん、なんですかね。短期的にはシナジーの中でほんとに多くの人材を輩出できるようなリーダーになりたいってことですね。9月にはチームエリートになるつもりです。いや、なります!!(笑)中長期目標としては、和敬塾のように、若者が切磋琢磨して成長し合えるような何かしらの空間は作りたいなって思っています。それから、映画はやっぱり面白いですし影響力があるものでもあるので、ほんとに人の人生が変わるきっかけになるような価値ある作品を作りたいっていうのも夢ですね。チームのビジョンとしても、健康問題はじめ他のたくさんある問題解決に着手していく社会事業化集団になっていこうっていうものがあるので、そこにもすごく共感しています。おじいさんになる頃には、孫とかが大活躍してたら最高ですね。

■ 彷徨った時期もあったかもしれないけど、それも無駄じゃなかったですね。
人生ってすごくオセロみたいだなって思うんですよね。生まれた瞬間って、たぶん誰しも真っ白だと思うんですよ。で、いろんな失敗とか挫折を経験して黒がいっぱい出るわけじゃないですか。でも、ある日突然影響力のある人や事柄に出会って白がバッと出てくると、パタパタパタって全部が白になる、そういうことが人生には起きるんだって自分の経験を通して思ったので、白いオセロの人になりたいです。それをいち早く実現する手段として、シナジーっていうものが最高の方法だなって思っています。

シナジーワールドワイド

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